-第八話「若井 ぼん」-

若井 ぼん と聞いてあの出歯の漫才師とすぐにわかる人は30代後半の世代であると思う。 

その人達でも彼が日本人初のレゲエサンスプラッシュアーティストと知るひとは非常に少ないと

思う。当時私もまだジャメイカには行ったこともなかったのでLIVE & DIRECT ではそれを知らな

い。 が、MobeyのジャレットパークがTear Upしたことはすぐに想像できる。

でも誰が予想したであろう「あの若井 ぼんがレゲエ!?」とそれまでの「若井 ぼん」を知る人

達は疑った。でも「よう やりはった」の一言である。しかもリリックスは「レゲエ河内音頭」 これ

は日本で12インチシングルとしてプレスされ私も所有していたが現在どこにいったかは不明だ。

このレゲエ河内音頭と派手な着物をまとった ぼんさんが「えぇ〜さあては〜」とうなると会場が

ドォ〜〜〜ッとなり、この日より一ヶ月位はそこらで話題になっていたと思う。たぶん例の「しっつ

れいしました」とツバキをとばして云うて帰りはったと想う。(言うてへん、言うてへん)

ジャメイカから帰ってきて先述のアイランドで会った際もかなり興奮ぎみだったので私達の想像

を越えてたのに違いない。

とにかく当時では我々レゲエ者にも新鮮やったし、リリックスもおもしろかった。現在でも一般の

人達に受け入れられると感じられる名曲だ。その年の正月には松竹角座でサルの着ぐるみ着

てサル回しをしてはったのにとそのギャップを感じていた私は「先 行かれた」と云う気持ちと

「すごい!!」と云う畏敬の気持ちが混じった中で「こんなんもアリやねんなぁ」と内得していた

のである。

その後、ぼんさんは漫才からだんだんと離れ、ミュージカル等の今までになかった方面に進ま

れていったのである。その当時の松竹の漫才さんと云うイメージにはまってはったのであるが

垢抜けたことをやり始め若いカワイらしい娘を連れてミナミで遊んではったのを何回か目撃した

その後芸能界のどのあたりをさまよっておられるか私は知らない。

現在レゲエ河内音頭というと吉本興業の河内家菊水丸と相場が決まっているがその前に若井

ぼんさんが大阪レゲエ史に足跡を残しはったことはトレビアの泉である。  ヘェーヘェーヘェー

しっつれいしました!!yo so
-第九話「Who Rules」-