-第十一話 「FASHON」-

今回は前章のANSWERとしてお話したいと思います。おおまか当時のFASHONやスタイルなどがわかってもらえたと

思いますが大阪レゲエシーンでは本当にまだまだDANCE HALL STYLE がそんなにひろまってなかったのでいわゆ

る大阪ラスタが主流でなかなか
RUDDYっぽい人は少数派であったが宝島レゲエブックやサウンドシステムなどの雑

誌が発行されて急激に情報が入ってくるとレゲエはもちろんDANCE HALL STYLEに火がつき出した そら あんた

、皆がカンゴール被ってるというても大げさではないくらい行きましたわカンゴールは!!ちょっとその前にTRAVEL

FOXというスニーカーがよかったんですが物流の関係もあって行きはしませんでした。話はもどりますがカンゴールに

は鉛筆や靴、はたまた傘やタオルまである位のブランドになってしまいました。
病気やなあ。

まあ現在はしぼんでしまっているけど大きなお金が動いてんやろと思いますわ。

ダンスホールが普及したと同時にクラブからドレッドや長髪が消えだし90年代前半は大阪のダンスホールのピークや

ったんだと思います。ただし、精神的にラスタの人はどんどん増えていったんやないかなあ。85年ころ
NSCの生徒で

あったTOKU-Pがドレッドをやっていたがそれはきれいなドレッドやったと思うがあれはたぶんエクステンションちゃう

かなあ。あと和歌山から大阪のイベントによく顔をだしていた長髪の山崎(多分?)氏も根性入ってた。まあ現在50歳

前後以上のラスタは根性入ってた人も多かった反面、勘違いなところもあり、その後の大阪レゲエシーンからは
疎外

していったのは事実だ。たぶんついてもいけないし、しいて追うこともせずに自分の世界にひたっておられることだろう。

また、大阪ラスタの聖地はたぶん岸和田・貝塚あたりと私は当時から感じてる。あそこらのラスタは本当に濃い。お

そらく現在もその流れは存在しているらしい。

また、RUDDYのなかでも一般的にはジャメイカンスタイルに憧れるのが王道だったが当時アメリカのラップ・ヒップホッ

プの影響でHIPHOP FASHONをとりいれてたきた頃に京都からCURTIS FLY & SPICY FLY とういうコンビがうまれた

のだが彼らのファッションは本当にイカつかった。当時のシャネルズのように
黒塗りでなおかつビッグチェーンそして

大きなグラスとゴーグル、思わず‘‘Back side !!’とうなるほどでしたね。

女性では現在のようなGalはほとんど80年代には全く存在しておらずどちらかというとRootsWomanが多かったな。や

はりジャメイカに行ってやっと目覚めるパターンが男女にかかわらず多かったですわ。当時のOsakaRootsWomenのイ

メージはRudeというより知的で静かでちょっと汚いイメージが私にはありましたわ。ほんまに汚いのでなくイメージで。

でもJさんは臭かったなあ。

とにかく私の感覚ではOsakaGaLが発生したのは四ツ橋のSt.Annあたりやないかなあ。

そのあとのLabrishにはたくさんのGalがおったです。その後アメリカ村がアメ村となっていくと同時にRootsWomenは

消えていってしまいました。

第十二話 「JLPやないで! LJPや!!